20211204

最近、考えるのは私の文体が形成されてしまったのは、中学高校の間に描かなければならなかったレポートや文章にあり、読まれる側もアカデミックライティングを経た教員であったためか、強迫観念としてあったのではないのかと考えさせられる。元々は文章を書くのが苦手で、飛躍ばかりしており、それを捕捉するためのギブスとしてあった。ただ、研鑽は意識的に積んでいかなければいけない。

 どれだけの人が私が書いた文章を読んでくれるのだろうかという事に関しては、私が専門とすること、美術の文章についていえば、複雑な作品の構造を紐解き文章によって織物を作り上げていくことが必要だ。
 そのため、表層上の物事からのみの解釈に限らず、構造を紐解かなければ解釈も狭まってしまう。解釈の波を広げるためには、制作された過程と作家について、そして作品の価値やイコノグラフィー、需要のされ方などなど多岐にわたる構造がどう畳み込まれているのか捉えなければならない。
 けれどもどうなんだろう。査読として読まれるための文章はそうである必要性に迫られるけれども、批評はどうあるべきなのだろう。ただ、批評も批評でそう書きたい人がいてもいいと考える。行きつく先の見えない批評もあってもいいし、カチッとした構造が立体的にみえる文章も読みたい。それが言いがかりにならないのであれば。書けるだろうか。書くべきだと考える。なら書こう。書いてみよう。書けるだけ書くしかないのだろう。