20220727

 昨晩、例の研究会に望んだ。主に映像メディアが普及するにあたって、どう認知していくのかについてだった。文章を読んだ上での参加となっており、文章を読む限り、ジョナサン・クレーリーの『眠らない社会』みたいな一節があり、それについて話した所、参加者のひとりもそれについて事前に発表者に話していたらしい。発表者とそれについて引き出した僕はこの本を読んでいなく、伝えた人だけ読んでいた。これをきっかけに読もうと思った。

 その発表者曰く、あまり美術館に行っていないらしい。散歩の方が楽しいと話していた。川村記念美術館の「カラーフィールド・ペインティング」だけみたという。アンソニー・カロとケネス・ノーランド以外、面白くなかったらしい。マイケル・フリードみたいな保守性を感じた。
 「ジェームズ・タレルよりもマーク・ロスコの方が面白くないですか?」らしい。確かに、ロスコの絵があるのはニューヨークのホテルのレストランだったり賑やかな所に引き込まれる絵画が壁画の様に何列にも飾られている。それが実現しなかったシーグラム壁画はテートと川村といくつかの美術館に散らばった。
 そういった話になったとき別の人が「タレルも賑やかじゃないですか?」と話していた。以前、たまたま雑誌かネットの記事で吉岡里帆が「光の館をみて、美術が好きになりました。」と発言していた。タレルの作品は金沢にもあり、スケールがある。多分、それだけ開かれた作品であるのだけども、それとは異なる、いまとなっては保守的な言説、批評があった。
 タレルみたいなスケール、ミニマリズムが広げた方法に対してフリードは「演劇性」と批判しリテラリズムを立ち上げる。そのうち度々、フリードが書いた作家がアンソニー・カロだった。川村のカロのをどこかのタイミングで見に行こうと思った。