20221028

 中嶋泉による『アンチ・アクション: 日本戦後絵画と女性画家』を先週あたりから読み始めた。主に草間彌生田中敦子福島秀子について書くと共に、戦後のアンフォルメル旋風以降に男性の美術批評家がどの様な位置づけであったのか、そして3者を育て上げた瀧口修造について触れたりしている。そこで気になったのは、具体の位置づけが千葉成夫の『日本現代美術逸脱史』刊行以前はあまり評価されていなかった事やもの派の影に隠れた?と思われた事など、色々考えさせられる。いまは男性の美術批評家が女流画家の位置づけを「生理的」や「情動的」といった定型句でまとめ上げられてしまった事実についての話でとまっている。あと、タピエが向こう側の位置づけでは非常に狭い位置づけにも関わらず、日本側は過大に評価し、以後の抽象絵画を「力強いタッチ」などの批評の仕方を通して描き手の男性性を誇張した事などが記されている。