20221211

 朝、久しぶりにTwitterを開いたら坂口恭平がスペースをやっており、入った。フランク・オーシャンが流れている。そこから誰かが参加して、その失恋した人を励ます会になっている。

 坂口さんは「結局、仕事とか恋愛とかの問題にすり替えて、本当の問題みたいなのを見つめ返そうとしてないんよな。」と話していた。「恋愛が結びつける未来の関係より、お茶を飲みながら曲を作れるいまの関係を大事にしろ。鍛えろ。」らしい。話を聞くに、人柄としては緩さもあるけど、この人はそれなりの割り切りを人間関係にしている。それと、案外、さっぱりしていたりするのが逆に心地よいよかもしれない。

 昨日のトークショーを振り返るに、話し方とかあるのかもしれない。けれど、これも鍛える他ないのかもしれない。たしか、宮台真司が共同体の回復について話しており、坂口さんはそれを1人でやろうとしている?気もした。最近ではそれを宗教や自己啓発、オンラインサロンという方法に取って代わっている。果たしてそうでない関係、共同性、その上での幸福感?とは。

 MSMでやり取りをしていた音大の頃の友人とお茶をした。写真美術館の展示をみる。イアホンをつけて見る展示があり、イアホンをつけながらみんな同じ展示物をみるという感覚が気になった。共注視。それを介したコミュニケーションはコロナ禍故に一切ない。その静けさ。

 そこから友人と街中華を食べ、腐れ縁とその彼女と4人で沖縄料理を吉祥寺に移動して食べた。その後、腐れ縁と別れてバーで友人と飲んだ。

 帰りに樋口恭介の『生活の印象』を読む。福尾匠の日記について触れている。雑談。その静けさ。確かに、議論になってしまうし、そうでない透明なコミュニケーションができる技術。男性の人は議論が好きだし、それ自体が有害な男性性だと知らない。なので、雑談をしたいし、気兼ねなく、なにも知識を開陳せず、あの事柄の「あの」を話せたら楽しいのかも、と思う。議論の技術、雑談の技術、そこに話法が潜んでいる。ついつい議論になってしまうため、難しいけれど、考えつつ話したりしてみよう。