20220730

 昨晩はまえだくんとにしもとくんで退勤後に飲みに行った。1軒目はまえだくんが連れていかれたという安いバーみたいな所。全て飲み物が220円となっており、注文もタブレット式になっていて、まえだくんはうどんを食べていた。僕が流れていた80年代洋楽を当てたりしている所ににしもとくんが仕事終わりでやってきた。

 てけてけに移動していた。真ん中の空間が広い。端っこに20代前半の男女が新卒の飲みなのかサークルの飲みが開かれていて、散りながら開かれている。それぞれが縮こまりながら飲んでいる。にしもとくんが「明日、彼女と午前会うんだ。」と話しておりもう一軒目でやめようかと話していた。
 もう一軒めはオープンカフェみたいなバーになっていて、年齢層が高めになっていた。徐々に年齢層が上がる設定に自然となっていた。まえだくんが「今日は水を差す人です」と言っていたためか、水を差す事に応援する人に僕がなれたらなと思い、変な感じになってしまった。にしもとくんは終始笑顔にみえた。2人は田園都市線半蔵門線だったため、改札まで送って解散した。
 僕は駅から家までの道すがらでミニストップに寄って、この前、知り合いがうまいといっていたハロハロを食べながら歩いて帰った。気分が良かった。そのままカップを洗面台に置いてベッドにもぐっていた。
 朝になって洗濯物を干したり、ポトスを皿に持って水をかけてベランダに出したりしていた。「ユニコーンに乗って」を見ていた。ドラマの中の西島秀俊は映画の中と違う。それは尺の短さ故に、オーバーなリアクションを求められており、それに似合っていないのかなとか考えていた。
 美術館に行く人に会いにバスでそこまで向かった。ギラギラした太陽を防ぐために間を挟んでサングラスをかけたり外したりしながら美術館の前にいた。どうやらその人が中にもう入っており、受付を済ませて中に入る前に呼ぶ人もいたため友人の学芸員を受付で呼んだ。
 ひさびさに学芸の人と会った。髪の毛が昔よりもチリヂリしていた。挨拶をした後に展示をみた。作品のポテンシャルは感じられたが展示は追えなかった。要素が拾い切れなかったといってもよい。この作家の回顧展をみていただけに、作品にどうアクセスするのかよりも作家へのアクセスが際立っていたように思えた。
 そこから恵比寿に行き、写真の美術館に行った。同行した人は「不評を読んだ」みたいな事をぼやいていて、逆に一緒に見たいとのことだった。展示は確かに違和感がなかった。けども明らかな影響を感じさせる作品があり、その2点の影響関係は拾っておくべきではないかとも感じた。
 新宿に行き、その人が刺身を食べたいと行っていたため、その店を予約して行った。その人は飲めなかったため、自分だけ何杯か日本酒を飲んだ。学芸員でもあるその人とどこからコレクションができたのかであったり、宗教についての話で盛り上がった。家のポトスが日焼けしていないか心配でという話もした。
 そこから、別のスペースに移動した。知り合いの写真を主にやっている人とはちあわせた。この前も吉田山さんのスペースでも手を振ったりしていた。帰り道が同じでもあったため、その人とスペースでの展示について話していた。その人はどうやら声の違いが気になったらしい。声の違いは世代の違いとも括れない。少なくとも最近の僕は出る音について興味があるとも思った。
 家のポトスはなんとかなっていた。ポトスについて後でその人にラインしようとしていた。