20211208

癖で前に付き合っていた人のインスタをみては、同世代の感覚を知ろうとする気持ちの悪い事をしたりしている。のぞき見しては、うらやましいなと思ったり、「重い」と思ったりする。今年は年の瀬に関西方面に飛ぶのをみて、もう向こうの親に顔合わせるのかと思っている。大阪なのか。相も変わらず「#彼氏」の生き血をすっては、楽をしようとしているのが透けて見える。私の母親にその人と対面させたとき、「あなたと結婚して楽をしようとしている。」と言われた。多分、楽できない男と烙印を押して、別の男に乗り換えたと私は考えている。楽できる人に乗り換える事ができる人はうらやましい。それを知りたい私も気持ちの悪いものを抱えている。その抱えている部分が誹謗中傷や逆恨みに発展するのがインセルだとするならば、どういった感覚なのか。その感覚をいま、小説にしている。近日中にnoteに貼る予定だ。

仕事をして、文章を書いているとヤフコメのコメント欄の様な内容が浮かんだりするときがときたまある。これは、ネトウヨがやろうとしていることなのではないのかと。ヤフーのコメント欄はパソコンを開いてはじめにある。これに書き込むというスタイルはこの国のツイッター宜しく、影口、憶測、推論といった声だと考える。この声を誰に伝えるのか分からないという所。見えない他者がいるのではないのかと。いや。他者の表情や伝える人が創造できないからだ。

ただ、これに書かない人もどんな思想信条があるのか見えない。それ故に、何らかの考えがあるにも関わらず、空気にのまれ、空気の中で発しているつもりになっていたり、のっかって逸らしたりしているのではないのか。この空気。美術の場合は空気が抽象的なものいいになったりする傾向もあるが、何なのだろうかと考えたりしている。ただ、美術の外の場合、具体的なものいいばかりになり、あまりに抽象的な思考ができない人が多すぎる。
この前まで現場で一緒に働いていたOJTの先輩がこれは左翼的だからだめだ。とか極上の右翼とかいった悪趣味な内容を言葉ぢりに詰め込んでいた。そういった言葉の暴力に私は一年間耐えていたのだなと思うと異動してホッとしている。その人は兄より劣等生な自分に苛立ちを感じていると話していた。そして自身がマイノリティなジェンダバイアスを抱えている事も私に打ち明けていた。その人が話しかけていた派遣の人は辞めている。
これは最近考えている事なのだが、柳の健康的なものに対する不健康とは何だろうかと考えている。もしかしたら、不健康なところを語りあえる場所はこの国にはないのではないのかと思う。そのためこの様な独りよがりな文体がブログだったりする可能性もある。
他方、健康を装うメディアはたくさんある。例えば芸能人の冷蔵庫をみて誰がキレイか当てる番組もそうだ。あれみるとポルノだと思って私は虫唾が走るのであるが。ひとまず、要素だけ絞り出して後でこの件について考えてみたい。