20220429

 東京国立近代美術館で開催されている鏑木清方の展覧会に行こうとしたら雨。電車を乗り換えている間にやめた。

 六本木にある蔦屋書店にだけ、マイケル・フリードの『没入と演劇性』が販売していた。そのため、六本木に行き、5000円もする本を購入。この前、ダミアン・ハースト展と一緒に行ったボストン美術館展に展示されたシャルダンの絵画について書いている書物らしい。ナイト・ミュージアムでそのときは人がほとんどいなかった。他の人も閑散としている展示と言っている。フェルメールシャルダンプッサンもカラヴァッジョといった日本では収蔵されていない作品が見れるというのに。けれども閑散としていて、落ち着いた常設展みたいでよかった記憶だけが残る。

 現代思想のインターセクショナリティ特集も購入。ローレンスさんの対談で話された白人性について僕の感覚と照らし合わせて考えたりしながら、ツタヤでお茶しながら読んだ。

 帰りに、ことばの学校の課題でホン・サンスの「自由が丘で」をみて文章を書く課題が出されていたため、配信で見れないこの映画を渋谷のTSUTAYAで借りた。同じ監督の「夜の浜辺でひとり」も借りる。ふたつとも一回みたことのある映画で、もう一回見たらどう変化するのか楽しみだ。

 鳥竹で焼き鳥を頼んで、お酒を一合頼む、後ろの座席、男ふたりが飲んでいる。1人は妻が最近、不倫してるみたいなんだよね、それで俺も会社の女の子と最近、いろんなところ行っててさ、といった会話を小耳に挟む。聞いてる男は、それ、やばいっすよ、といっていた。

 破綻の始まり。全てもにふそうという気もない感覚もやばい。けれども2人が楽しく生きていける手立てであれば法も倫理も関係ないんだろうなと不意打ちされた。けれども、人は殺さないでほしい。

 家に帰ると、干した洗濯物が家の中で干上がっていた。