20220501

 今日は雨。けれども友人と鎌倉に行く約束をしていた。その人がみたい企画展があるという。松本竣介の展示で、その人が鎌倉初だったため、小町通りを避けながら歩く道を教えたりした。

 松本竣介の展示は風景画の作品がなくて友人は不満な感じだった。帰りに七里ヶ浜のカレー屋に行ったけれどランチが品切れだった。そのため、隣のお刺身が食べられる店に行って、旬の刺身と日本酒を堪能した。海が眺望できる所で眺めがよかった。

 帰りがけ、その人と彼氏の話とかして途中、電車の中で寝て帰った。

 カフェによってこの前、借りた映画でも見ようと思ったけれど、設備が整っていなかったためベイトソンの『精神と自然』を読んだ。全ての世界は主観でできているとベイトソンは書いており、そうなのかと思った。

 隣の座席で会話している人がいる、

 今日も綺麗な服ですね

 あ、あ、あ、あ、あ、の、の、の、好きで買ってます。

 僕は最近、黒い服を好みで着ています。

 聞こえてしまったから書いている。どもりが気になった。けれどもどもりの人は綺麗な人に見えた。

 奥の席では、髪をピンクにした女性が結婚、出産といった教科書通りの生き方をするのは疑問だと男に訴えている。

 ベイトソンの本を読んでもあまり頭に入らなかった。

 家のあまりものとスーパーで購入した具材でポトフを作る。途中、銭湯に行き、そこからコンビニでビールを購入して飲みながら歩いた。GWにどこかへ出かけるのもいいけれども、結局、身の回りでなんとかなっているのではないのかと思った。このなんとかなっている感覚、甘えているし、なんで、だろう。甘えている自分に気づかないのも鬱陶しいし、生きづらい。

 自分で勝手に悩んで、迷惑かけてばっかりだからダメなんだなと思った。そんなとき、腐れ縁と俺との経験を水戸に行った友達に話した時、お前ら、すげえ、経験してんだなー、といっていた言葉が耳に入る。なんともないけど、なんか動いたり、前だか後ろだか知らないけれども着実に生きてる、その実感がすげえ、という端的な言葉に満ち溢れていた気がした。

 その話を昨晩、実家で母親に話したらワインを飲みながら笑っていた。