20220601

 この前、ツイートでPHSのツイートにいいね、した。PHSは敏感肌みたいな体質と同じで、自分からPHSという判断は間違っているというざっくりとした言い方ではそういった内容だった。


 あ。8時45分だ。ちがった。違う時間だった。
 昨日、面接にいった銀座のおじさん。中年のいい感じの営業マンだったなぁ。どうしようかな。けれども、最近のサイトはどこもあれだったんだよね。キラキラしている若い女の子とかイメージ画像でつかってさぁ。僕みたいなスーツのおじさんみたいなの、カジュアルじゃないよね。と弱気越しだった。
 この前、ピンサロの人が男はみんなMだからさ、とかいってたのも思い返したりしていた。転がしてくれる人の方が楽らしい。
 愛がいそがしいという漫画にも描かれている父親に似た雰囲気、恋愛観をひきずってしまう、そこから絶つことのできぬまま、沼にハマる青年もいれば、引っ込み思案になるおじさんもいたりするのかなと思っていた。それからキラキラした銀座の街を歩いて新橋から渋谷に戻り、帰った。
 
 みなみしま君のネイキッドみてた。平成美術展について、取り上げられなかったケアに関心があると話していたが、彼は本当に関心があるのだろうか。とふと思う。
 
 電車。フーコー文学講義 大いなる異邦のものを読んでいる。文章において奇怪な文章があり、狂える言語の所で書かれてあった。言語の機能から逸脱した言葉の運用の仕方がされている文学があり、それについて書かれてあった。意味のない家系図みたいなのを書いていた人がことばの学校の課題で提出されていたことを思い返した。
 そういえば、昨日書いたインスタのアカウントを運営していたのは元カノだった。元カノの祖母は株を確かやっていた気がする。多分、投資目的がどこか入ったりしているのかもしれないし、ギャラリーに勤めているという所もあるのかなと思ったりしていた。
 以前、教授とコレクターについて話をした。高橋龍太郎さんが作品を大量に購入するため、買いたい個人の小規模なコレクターが買えなかったりするという。それは投資ではないのかといっていた。大原美術館のコレクターは文化を作るという意識が働いていたものの、高橋さんはそうではないのではという話をしていた。投資と文化を作るの違い、線引きがあまりイメージつかないところもあるが、アーティストに寄り添って物事を考える姿勢な気がした。
 それは昨日のみなみしまくんのリキッドにも感じられて、作品を評価、或いは鑑賞する、管理する側と制作する、企画する側は視点が異なり、その異なる点と点をどうつなぐのかという意識が肝心だったりしている。企画をしてお金がなくなったりとか、アーティスト同士でグループ展したときに揉めちゃったりとか、そういった経験則でしか推し量れない部分もあったりして、それでアートって...みたいなモヤつきがあったりするか、それでもアートはっ!てなったりするのかの境界だったりしないのかな。
 話が脱線するけども、元カノだったり元カレだったりが小説やテレビドラマ、映画に用いられる様にここ最近なっている気がする。僕が知る限り、モトカレマニア、元カレの遺言状。元がついても関わりがあって、つながりを意識したりするのはSNS以降の現象だったりするかもしれない。

 退勤後にパスタを食べた。絶望というパスタだったけど味は辛くなかった。ことばの学校にいき、九龍ジョーの講演を聞く。学部の頃、編集者のゼミ思い出す。帰り道、一緒に帰った人と、卒業制作どうしよっかとなる。その人は10%できてる。らしい。
 ビールを買って。もやつく。岸田に電話した。一緒に帰った人に岸田、今日、凄いイライラしてそうな顔で聴いてたんですよねって言ったよと言った。岸田もそうそう、なんだかねー、今日、一日中イライラしてたんだよー、といってた。やっぱそうだったんだ。
 編集の古いおじさんの話聞くみたいだったよねってなって、批評って誰読むの?ってなる。多分、複雑な物事のさらに外部を知る手立てとして小説を岸田が読む感覚で読むよ、と話したら寝てた。