20220803

 会社の玄関を出てすぐにある樹に鳩がとまっており、派遣の人が通りかかって巣を作らないか心配をしていた。僕はすぐにこの鳩の品種がキジバトだと気づいて派遣の人に「この鳩、キジバトですね。これから注視しておきます。」と話した。

 少ししてから、キジバトの生態について会社のパソコンを使って調べた。キジバトはベランダに巣を作るらしく、幸運をもたらすらしい。そして、ツバメの様に戻ってくる習性もあるという。
 「ツバメの習性」と記したときに思い出した事があった。以前、たまたま学部の頃からの付き合いでもある建築の先輩が開いた結婚式みたいなイベントへ向かうために国立駅で降りたときのこと。そこの駅にあった商業施設と直結している改札口。そのちょうど真上。ツバメの巣がある。その下にベルトパーティションで正方形に区切った空間。駅員たちが巣の破片が落ちないように作っていた。当時の日記を読み返してみると「よくできたキュレーション」と書かれている。
 僕はこの空間がとてもよくできた展示にみえたのであった。国立駅に入場した人は観客でもあるのだがそこの空間に立ち入ることはできない。ツバメと新たな場を設定するという駅員の仕事とは異なる位相、そこでの協働。それらがこのミニマルな空間にインストールされている。
 ふと、そこで駅という場は公共空間であるのかと頭によぎる。さらに皮肉を込めると駅員による駅なのではないのかと。そう考えたとき、駅員が専有できるための空間と認識することもできる。けれども、そこには「駅員ひとり」の理解よりも「駅員たち」の理解がある。そして、入場した人、ツバメ。別々の方向、方角で動きながらも、合議が挿入されている意味についてこの空間、その場自体からサジェストしていた。
 そんな6月の記憶を当時の日記で振り返りつつも、夕方に面談する予定だった転職先の人がコロナみたいらしく、ぽっかりスケジュールに穴が空いた。何も考えていないけども、少し、何しようかと考えあぐねていたとき、後ろで雷がなって「雷がいる空間」がそういえばアメリカにあると気づいた。