20211224

 昨晩、友人からドラマ、「ムショぼけ」を勧められて一気に5話みた。この話は刑務所に15年いた元ヤクザの話。原作も書籍で発刊されている。この本の著者自身の経験を元に編み出されたドラマは、刑務所から出てから話が始まる。主人公の男は離婚を告げられ、娘と息子の消息不明のまま実家に戻る。ヤクザの兄弟や連れ立った仲間との再会。どれも殺気を感じながらも40代おじさんの和やかなムードが展開される。連れ立った仲間がユーチューバーを始めており、たまたま映ってしまったライブ動画。それをみた娘からのDM。そこから主人公の男と再会し、一家団欒の時間を過ごしたり、果ては突然の息子との再会で告げられる元妻の再婚について。どれも元友人との10年越しの再会からの伝聞録によって構成されたこのドラマは、リアルな地続きを思わせるルーキーズやワルボロの世界とは異なる懐かしさを彷彿とさせる。


 ドラマをみながら途中、たまたま手に取った哲学者、思想家、内田樹の『困難な結婚』を読んだ。この本はいま以上の「幸せ」を結婚していない人は得られるの?といった疑問や結婚した人にとっては離婚するべきなの?相性悪いの?といった個別具体的な憶測からの決断を淡々と内田節で切っていく語り口調である。けれども、切られた感覚はなく、一章を読む限りにおいては、「まぁ、とりあえず。いいんじゃないの?もっと葛藤するべきだよね。」と褒められながらも強く肩を叩かれた感覚が残る。
 内田によれば結婚も就職も同じようなもので、どれもシグナルが感知しているのか或いは、感知していないのかの違い。らしい。就職はここにおいて、例として紡いでいたのだが、離職の話を本では展開している。主に離職してしまうのは、生理的に受け入れられないという判断と全く仕事を貰えないがいまいるところで厳しいけれども働き続けるという判断。どうやら内田によればどれも声をかけているのに聞いてくれない。聞こえない振りをしてしまう者たち。所謂、コミュニケーション能力の問題として語っている。それと「結婚する。しない。」の話も同じだよねという話だった。
 それはともかく、もっとしっかり悩めと。結婚であっても就職であっても周囲よりも自己決定による判断能力の話であり、生理的や「周りが」という話もあるが、徹底して意思決定を自己決定の話に集結するのは内田樹だと思った。内田が「街場の」という場に籍を置くのは、徹底した自己決定能力が現代に置いてやわになってしまっている話だと思う。それは、内田がアメリカと日本の問題を絡めながらも領土問題と九条の問題も紙一重なはずなのにそれができないという話にまで広げてしまう語りからも伝わる。
 ムショぼけで松尾さん演じる男が焼き肉屋でSNSに翻弄される主人公の男、じゅんちゃんをみて、「情報社会と言われど結局は、人と人だから。」となだめているを思わせる。

 個人的な話でいえば、寒空の中で急に電話して「もっと、悩め。」といわれ、その後めちゃくちゃブロックされた人に怒られたの思い出した。あと、元カノの悪口やめたいと思った。