20230316

 不意に、ボランティアとは何か考えてしまった。それは、たまたま機会があって書いているのだけども、奉仕の精神と言われるものがその内実。文学的な内実について詳しく知る手立てがマイケル・サンデルの白熱教室以降、盛り上がっている事もある。いつの話なのか忘れたけども随分前かもしれない。そういえば、昨日、「オットーという男」をみた。

 唐突の飛躍。差し込んだ飛躍。

 トム・ハンクス主演の映画となっており、やはりどこかしこのユーモアがある様に思えた。ターミナルもグリーンマイルフォレスト・ガンプもそうだったかもしれないし、仕事の終わりに見るならホラーでもシリアスな映画でもない映画を見たいというのも正直あった。それで見たのだが、オットーという団地に住むアメリカの男性が主人公らしく、そこからまず気になった。そういえばトランプが立候補をしたときに団地に住むそういった孤立した老人が票を入れ始め、結局その票がリベラル票よりも多くなった、と。

 話は前戻り、ボランティアについて考えよう。ボランティアであるために我々は生きているのか、と。5日前に震災が起こって何年目かの周期を迎えているのだが、オリンピックもありあまり覚えていない。その間に首総も銃殺され、なにも記憶がない。そうだ、あの数年前に震災が起きて、同級生とボランティアに参加していた。何日か行った。テントを張って暮らしたり、被災した家族写真を収集した。まったく知らない他者の家族写真を収集する中で、まったく知らない他者を知るとは何か、と考える機会に恵まれた。

 そういえば、オットーの話を前の段落で書いていた。オットー。OTTO。TOTO。TとOだけでこれだけゴシックな文体ができあがるのは類い稀であるのだが、多分、ローマ字表記がそうさせているだけで、"てにおは"の日本語表記はそうさせないのは事実としてある。ちなみに、この映画のタイトルは中国語で”隠閉中年”となっている。主人公であるそのオットーが毎回、亡くなったパートナーの元に行くために自殺を試みるのだけども、失敗に終わってしまう。それは、近所に引っ越してきた人々が原因でもある。オットーにとっては難民でもあり、他者でもあった。メキシコとか、南米あたりから来た家族でうまく駐輪できない所をオットーがみかけ、それを手助けした所からその人との関係がはじまる。

 そして、たまたま冬にポスティングバイトをしている人をみかけオットーが叱ると、その人はオットーのパートナーが教えていた人らしい。オットーのパートナーは特別支援級に勤めており、毎回、クラスから遠ざけられた子供を匿っていた。その卒業生は別日に自殺を試みるオットーを訪ねて来る。その間にオットーは白昼夢に襲われており、パートナーと一緒に新婚旅行にナイアガラの滝をみているシーンに移る。

 ここからそのシーンの描写をしてみる。

 滝の帰りにバスに乗る若かりしきオットー、このオットー役はトム・ハンクスの息子らしいがそれはさておき、その間に読書に浸るオットーのパートナー。下り坂の曲がり角でバスが曲がる途中で何故か横転事故を起こす。奇跡的にオットーはトイレの中で助かるのだが、妊娠中のパートナーは怪我をする。たまたま助かるものの、妊娠した子供は流産する。ただ、無事にパートナーは生存し、そのまま暮らしてゆく。どうやら、オットーよりパートナーが先に亡くなった。それでも生きていたときにそのパートナーは被災しても、子供が生まれなくても生きようと話していたのがオットーの中で過ぎる。白昼夢から目覚めるオットー。パートナーの昔の教え子がそのタイミングでドアをノックする。その教え子はトランス男性だという。そのトランス男性、パートナーの教え子は家族から追い出されたらしい。家出のため匿って欲しいとオットーを訪ねてきたらしい。パートナーが使っていたキッチンで料理をしてオットーにコーヒーを振る舞う。オットーはそのコーヒーを飲んでどこか満足気だし、どこかパートナーを思い浮かべている様子だった。

 ボランティアという話に戻そう。ボランティアやケアが用いるものはオットーが求めているものではないのかもしれないし、急に訪ねてきた来訪者でもある訳なのだけども、昨日みたこの映画の伏線とまでもこのキーワードは機能しないだろう。(これは、描く中で気づいた)機能しないのだが、究極的なオットーの自殺と関係する可能性もあるかもしれない。軽薄なのかもしれないが、このオットーの死について団地や核家族の話とつなげて書いてみたい気持ちも分かる。それは、ロバート・パットナムの『孤独なボウリング』を読めばいいのかもしれない。こうした書籍の紹介だけで今日というこの日は留めておこう。